» Raw Comic Zip Rar 無料ダウンロード, Manga Free DL Online Daily Update, Zippyshare Rapidgator Uploaded Katfile Mexashare Salefiles. アマノイワト様は、彼女たちの父親は『許され続けている』と書いておりますが、私にはそうは思えませんでした。 街diary』を読んでいて一番もやもやするのは多分その辺りなんだと思う。 うん確かに人生ってそんな感じだ。描き方もうまい。バランスもとれている。 でもじゃあそれで何がどうなるっていうのか。 2018/12/10 ある意味生き生きと書いていて怖ささえ感じました…, キャラは好きですがこれ以上読み続けられるのか… 街diary最新話「肩越しの雨音」が掲載。今回は、4姉妹の末っ子すずちゃんのお話です♪物語の中では、季節はもう梅雨。↓↓↓★ネタバレ注意★↓↓↓↓↓中学最後の夏を迎えるすすちゃんの元に、スポーツ特待生の推薦の話がやってきます。 すずが抑圧した可哀想な子、欲望に忠実な継母という形で、 けれど母親には『愛情』があったからこそ、負の感情が何度も燻られ、なかなかその炎を完全に消すことはできないのかな…と感じました。  父親に対しては記憶も少なく、許していると言うより諦めのようなものであり、写真を見ることで改めて思い出す位の存在のような気がします。 もうすぐ最終巻がでますね。もう一度始めから読み直してみようと思っています。, 他所に女性を作り出て行ってしまった父親に置いて行かれた母と娘。きっとそんな母をかわいそうに思う感情ともっとしっかりして欲しいという感情と、中学生の幸にはあったのではないでしょうか。 この日常の「ツマラナさ」というものがどれだけ見えない愛情に支えられているかということを無意識に気が付かせてくれるからこそ、この漫画は10年以上も続いたのだと私には思われます。 街diary 6 四月になれば彼女は (flowers コミックス)  そして母親への罵倒?は愛情があるから言えることだと思います。そして娘も大人になるにつれ、その頃の母親の気持ちをわかり始める。それは母娘だから女同士だから、理解できることもあるし、だからこそ許せないことも。でも、心から憎んでいるのではないからこそ母とのやりとりがあるのだと。 でも、最近自分の子供が反抗期になり、  新巻鮭の下りは、こんな時でも天然な母への笑いのようにも感じます。チカちゃんにとってはちょっと違うかも知れないけれど。でも、何かを吹っ切ったようでしたよね。, こちらの記事も大変共感いたしました。母親に異様に厳しいですよね、この漫画…。罵倒は愛情があるからこそというコメントも見ましたがそれは無理があるのでは?罵倒は罵倒でしょう…それなら主人公たちが愛情を持っている相手(母親以外)を罵倒しないのは何故?って話になっちゃいますからね。他の人から送られてきた品物には素直に感謝している時点で罵倒=愛情はあり得ないと思いますよ。というかそもそも愛情があったら罵倒していいという考え方そのものがおかしいと思いますが…。母親に対する期待値が高すぎるのかなんなのか、別にそこまで悪いことはしてないのに極悪人のような扱いを受けているのが気の毒です。それを言うなら不倫して家族を捨てて二度も再婚した父親の方がよほど倫理観の欠如した問題人物だと思いますが彼はスルーですからね…死んだから責められないとかもう忘れかけてるからとかいうコメントも見ましたが個人的にはウーンですね…父親を責めないことをなんとかして正当化するための後付けの理由のようにしか思えません。作中の母親の扱いを見ると彼女が亡くなっていたからと言って主人公たちの態度が急激に軟化するとはとても思えませんし、そもそも主人公たちは死んだからもういいでしょ!と考えるタイプではなさそうですし。 ーン)についての感想。以前の記事よりネガティヴな内容なので、ファンの方は少なからず不快になるかもしれません。ご容赦下さい。 結局四姉妹全員結婚して子ども産んで〜という結末なのもなんだかなぁ…という感じです。結局昔からの“女性の幸せ”をなぞる形なんだなぁと。もちろん作者がそう描きたいと思った訳ですから仕方ないですが。今の時代そろいもそろって結婚出産する必要はないのでは?と思ってしまいましたね。よくある内容になってしまったので、ちょっと残念ですね。, 仰るとおり、たしかにあの母親は親というかひとりの大人としてちょっと未熟なところはあるし、実際にそのせいで苦労してきた娘たちがそういうところに罵倒というか不満を言いたくなる気持ちはもっともなんですが、あまりにも父親への対応や見解に差があり過ぎですよね…亡くなっていることに加えて父親を慕っていたすずへの気遣いというのもあるのでしょうが、あまりに聖域化しすぎではないかと。実際は、すずも含めた姉妹たちの抱える問題というのは母親よりも父親の影響や責任がはるかに大きいはずで、だからこそ、むしろそちらにきっちり切り込んで総括すべきだったと思うのですが。, 正直なところ、姉妹たちとりわけ祖母にそっくりという幸の態度を見ていると、まさにあの母親がああいう性質になってしまった原因そして元凶というのがおおかた推測できてしまうんですよね。本来はもっとその辺りに切り込んで欲しかったし、母親の問題に限らず、もう少し客観的だったり別の視点や立場から意見や行動をしてくれるキャラがいればよかったのですが、当初はわりあいそういう役回りだったはずの佳乃や大叔母さんも話が進むにつれて揃って結局みな幸やすずと似たり寄ったりの言動で援護や同調してるように見えてしまって、かえって感情移入しにくくなってしまったところがあります。そろって作者の思想や感情の代弁者たちとそれにそぐわない言動をやらかすエネミーたちというキャラの二極化を後半になるほど感じました。, あと、アフロ店長や幸の不倫相手などの描き方などを見ても、姉妹たちの父親に限らず『海街』では総じて男性とりわけ『父親』に甘く、片や『母親』の描き方があまりに辛辣で悪意がありすぎる。姉妹たちをはじめ周囲の家庭で起こる問題や不幸は、それぞれ差はあれどもどれも駄目な「母親」が元凶もしくは責任が重く、一方で「父親」は失敗や落ち度はあっても根は優しい善意の人、という扱いです。こう見ると単に作者がファザコンを拗らせているだけなのではないかという懸念が……本来は実績もキャリアも素晴らしい方なのだから、むしろ作者の方にもう少し別の切り口や視野があってもよいのではと僭越ながら思います。, >結局四姉妹全員結婚して子ども産んで〜という結末なのもなんだかなぁ…という感じです。結局昔からの“女性の幸せ”をなぞる形なんだなぁ, 作中で明解に結婚が明言されているのは千佳とすずだけでは。しかし『海街』にはここではもう言及しないつもりだったのですが、やはり番外編含めて思うところがあったのでやっぱり書いておこうかな、と思いました。, 最近はほとんど『おそ松さん』関連の記事しか書いていませんが、基本は漫画・アニメ・小説などの感想や時事に関する見解を掲載しています。, 【感想・批評】吉田秋生『海街diary』への違和感ふたたび —不在の脅威、真の元凶—, 【感想・批評】野原広子『離婚してもいいですか?』—「幸せ」は決して向こうからはやって来てくれない—, 【感想・批評】『おそ松さん』の二つの「事変」松野一松編 —分身殺しの挫折そして救済—, 【感想・批評】『響け!ユーフォニアム』吉川優子の慟哭 —それでも私は「愛」を叫ぶ—. という違和感もあり、そしてすずと継母以外の関係性の中で1番強烈な印象を受けました。 »ã€ã®ãƒã‚¿ãƒãƒ¬ã‚りの感想・レビュー一覧です。 吉田秋生『海街diary』について、以前こちらの記事でいろいろと思うところ(というかほとんど手前勝手な愚痴)を書いていたりして、それに対しては大変貴重な忌憚ないご意見もいただいた。, 【感想・批評】「正義エイリアン」への恐怖 —吉田秋生『海街diary』への違和感—, 世間一般のまっとうな感覚や見識からすれば、この私の彼のごとき意見というか愚痴などは明らかに見当外れの酔狂な少数意見だろうし、それがもっともであり当然だとも思う。……実際、この『海街diary』が私の手前勝手な感想や感覚を抜きにしたところで、それはそれとしてやはり傑作であるという認識は揺らがないし、まして世間でのそうした評価がなんら揺らぐわけでもなく、そしてそれはまったく正当であり、したがってそういう感想を抱いてしまう私の方にやはりもっぱら非があるのだ。……しかし、それを踏まえた上で最新刊の『海街diary』8巻を読んだところ、いくつかの件に対して再びどうにも抗いがたい違和感というか、正直なところ不快感に近いものが出てきてしまったので、ファンの方々には恐縮だが吐き出させていただきたい。, ご存じのとおり、この第8巻ではヒロイン四姉妹のうちの三女・千佳の妊娠が発覚して何やかんやあった後に、千佳の交際相手で勤務先の上司、スポーツ用品店長にして登山家の浜田との結婚がめでたく(?)決まり、それを受けて、再婚して北海道に離れて住む上三人の母親から結婚祝いが贈られてくるのだが、それに対する当の娘である三姉妹たちや親戚のおばさんの対応があまりに一方的、というか断罪的に過ぎると感じた。確かに大方の「一般常識」やごくまっとうな母子の感覚や情からすれば、贈り物の内容含めてこの母親の反応というのは、大船の大叔母さんの言うとおり、初めて妊娠して結婚するという実の娘に対する気遣いとしては配慮や愛情に欠けていると見なされてもやむを得ないだろう(確かにシャケはせめてカット済みの方がいいよな)。, しかし、それでも、今まで熱心そして丁寧に『海街diary』の一連のストーリーや背景を負ってきている読者ならばなおのこと、ここであえて一辺この母親の方の立場や主観で一度想像してみていただきたい(少なくとも、この私は考えずにはいられなかった)。三姉妹の母親というのはそもそも厳格な教師の両親とりわけ母親(姉妹たちの祖母)の元で一人娘としておそらく相当に抑圧されて育ち、長じて婿養子に迎えた夫には借金を作られた上に若い女と浮気して妊娠させた挙げ句の離婚、三人のまだ幼い娘とともに取り残され、その後再婚と引き換えに母親に娘たちを「奪われ」、いらい長じた娘たちにはそれらの当時の苦労やら葛藤やらを少しは理解して斟酌してくれるどころか、たまに顔を合わせる度に自分たちを「捨てた」とけんもほろろに非難され、もしくはぞんざいな態度や扱いを取られ続ける……確かに自己責任、自業自得ではあるのだが、まさにそうした「正論」で切り捨てられ、だからこその負い目や引け目も一層あるわけで、そういう状況において、それこそまっとうな「母親」としての情や配慮をそうした娘たちに対して持つことができるのかどうか。なにより、そういう立場の母親に対してそういう情や配慮を求める権利が、そんな母親をそちら側でも常に疎外して、ろくに手も差し伸べて来なかった娘たちや身内にあるのだろうか?, 「母親」として元からまともな期待も尊敬もされていない、そもそも存在意義を認められていない、少なくとも(作中では)そのような意志やリアクションは殆ど表現されても与えられていないのに、「母親」としての義務や振る舞い、そして愛情だけは要求されるという、はっきり言って理不尽ぶり、正直この私にはそのように感じられてしまったのだ。多少突っ込みどころはあっても、仮にも遠く離れて暮らす母親からのたまの厚意に対しての反応が、終始ダメ出しと呆れと文句しかない、せめて一言でも「まあ何か送ってくれただけでもありがたいんだけどねえ……」くらいのエクスキューズはあってもよい、むしろあるべきではないか。加えて、何だかんだでその贈り物のトウモロコシやらシャケやらは口に入れてむさぼり食っておいても、言及し感謝もするのはもっぱら大船の大叔母さんの作ったちらし寿司やらリンゴとトマトのすりつぶしやらの方なのだ(だいたい真夏だったらりんごだって季節外れだろう)。, もっとも実際に姉妹たちの世話や後見を親身にしてきたのは祖母に次いではこの大叔母なわけで、姉妹たちにすればそちらの信頼や感謝が大きいのは当然なのだが、しかしそれを踏まえるとなおさらその輪からひとり「疎外された一族の女」である母親の居たたまれなさがより浮かび上がってきて仕方がない。曾祖母から祖母と大叔母を経て、生さぬ仲の孫娘にまで伝えられともに賞味する「とまとちゃんつぶし」の系譜のなかに、ひとり母親の存在はない。そして目下の、母親が曲がりなりにも自身の意思で選んだであろう土地の名産は一族の女たちから「相応しくない」として無下に扱われる。彼女たちは一族の「恥」であり「落ちこぼれ」である母親の居場所を否定したのである。母親の方は娘たちの居場所である鎌倉の古家を売る提案を引っ込めて、その庭からの手製の梅酒は喜んで受け取っていたというのに(遠路、電車や飛行機に乗って帰るのに「重いし割れそうだから運ぶの面倒とか、一言も言ってないよね?), そうして、突き詰めればこの母親の立場やパーソナリティを含めた現在の一族の空気、状況を作り出したのは他ならぬ、姉妹たちのすでに亡き祖母に違いないのだ。この『海街』の主たる舞台である鎌倉の家とその世界は、一族の長姉、大刀自として君臨し続けたであろう祖母とその強力な支配下にあった大叔母、そしてそんな女たちに結果として囲い込まれた三姉妹たちの有形無形の結束によって造られた「理想」世界であり、そんな女たちの世界から「失格」の烙印を押され続けた母親にはいずれ居場所はなく、そしてこの物語の摂理からしても、鎌倉の地、そして物語そのものから逃避し、除外される以外の術はなかったわけだ。ヒロイン末妹のすずなどは、大声で泣き喚く自分を受け止めてくれる姉たちや「つらいことや困ったことがあったら話しなさい」と言ってくれる身内の「大人」は現れてくれたが、この母親にとっては他ならぬその身内たちがおのれを抑圧し疎外する「元凶」ではなかったか?, しかし、たしか第2巻での祖母の七回忌の場面では、母親と長女の幸との連れだっての会話などでそれなりに互いの立場を理解し合い、幸などは母親に対して「この人も『娘』だったんだ」とか思い至る場面などもあってしみじみ感動していたのに、それをなぜこの期に及んでまた、この母娘の関係を後退させるような、また殊更に母親を「悪役」に仕立てようとする展開にしたのだろう? 物語中では何度もありきたりな「家族の絆」という幻想や常識を否定するようなメッセージが打ち出されているのに、肝心の四姉妹たちとその周囲がもっとも保守的な血縁の絆、加えて恋愛至上主義に収斂されてしまいつつあるように見える。そもそも妊娠そして流産の危機がきっかけでようやく結婚とかいう展開からして何万回もあったようなネタだし(だいたい、一回りも下の職場の部下の女の子に手を出しておいて、妊娠も防げず予測できないような男だから登頂も失敗するんだよ!とか思ってしまった)。結局はこの物語も、王道ではあるが保守的な「家族の絆と再生」の枠組みを出られないまま消費されてしまいかねない、という危うさを禁じ得ない。元より、この物語は自力で梨や焼肉もとい梅酒を賞味できるような力と運のある人々のためのもので、梨や焼肉の盛られた食卓や梅の成る庭からはあらかじめ放逐され疎外された、不運で劣ったかつての子供たちは眼中にはないのだろう……そして、そんな世界に隠然と君臨し続ける見えざる元凶というのが私に言わせれば、他ならぬ三姉妹たちの祖母と、そして「優しさ」と他ならぬ実の娘(すず)の存在という「絆」を免罪符に、この世界から繰り返し許され続けている、彼女たちの父親なのである。, (ついでに言うと、マサのdisられハブられっぷりもますます酷くなってるし……ある意味いちばん素直で真っ当なリアクションしかしていないのに), ……ここまで書いておきつつ、作者は当然のこと、なによりまっとうな『海街』ファンの方々には迷惑千万な話だろうが、何だかんだで彼女たちの行く末は気になるので、結局はこうした違和感を引きずりつつも最終話までは読まざるを得ないだろう、ということだ。本当に面目ない話ですが……。, 海街に対して持っていたモヤモヤ感をこうして文章にして読めることができてありがたいです。 吉田秋生先生の大ファンで彼女のエッセイ漫画やインタビューなども読んできたので、アマノイワト様の他の方へのコメント返信の――, ================ 『許している』のではなく『諦めている』のではないかと。 そこではいつでも母は加害者でありそして子供は力のない被害者であるという図式を感じます。, 特に母の未熟さと子供の大人にならざるを得ない感じ、欲望のままの母と抑圧した子、です。, 私もそういう関係に悩まされてきたし恨みもしていたからこそこの作者の作品に共感していたのですが、その問題があらかた自分の意識の中で整理されるともう違和感でしか感じられません。, 海街では最初の方、 三姉妹の母親は『元からまともな期待も尊敬もされていない』のではなく、『子供というものは、母親には無条件に膨大な期待と尊敬を持っている』のだと思うのです。 それでいいのです。 街diary Umimachi Diary v09.rar Download: ζJolinFile Umimachi Diary v09.zip – 70.5 MB ζJolinFile Umimachi Diary … »ã€ã®æ„Ÿæƒ³ãƒ»ãƒ¬ãƒ“ュー一覧です。電子書籍版の無料試し読みあり。ネタバレを含む感想・レビューは、ネタバレフィルターがあるので安心。 (なぜ異母兄弟の彼らがあんなに急激に仲良くなれたのかはその辺が大きい気がします。ただ綺麗すぎて違和感は感じましたが), 救いが日常になった2巻以降どうしてもダラけてしまうのはその辺がメインテーマだったからなのだろうなという感じで何となく続きを追っていました。, それがいきなりの母登場(本人は出演なし)でこの罵倒とは、彼女たち(というか作者の)の恨み晴らしにしか見えませんでした。, なぜここでこの話を出す? 超人の登場も時空を超えた展開もありません。ここではただ日々生きて行くために、家族を必要とし必要とされた、何処にでもいそうな完璧ではない人間たちが少しずつ何かに気付いて成長して行くという非常に「ツマラナイ」世界が描かれているのです。 親を筆頭に大人のエゴや弱さの犠牲になった(元)子供たちの再生と成長がこの物語の大きなテーマなわけですが、正直なところ、すずはじめ姉妹たちの「可哀想な子」ぶりを強調したいあまりに、ことさらに母親のダメっぷりを強調するようなエピソードを唐突に重ねてくるところに、ストーリー上の必然性を超えた作者の作為そして悪意を感じてしまいますね。こちらはこちらで、どうもあの姉妹(と大叔母)はあの母親を体のよい共通の感情のサンドバッグに仕立てて(無自覚に)結束を保っているのでは…といった悪意を持って観てしまいます。本来の元凶である父親への態度のあまりの差も加えて。, いっけん、それぞれ欠点や弱さを持つ人間として親や家族を許そう、受け入れようというようなメッセージやストーリーを語っていても、それを描いているはずの他ならぬ作者本人が自分の母親をいまだ一番許せていない、「母の犠牲になった子供」である自分を昇華できていないのだなあ、と私も思いました。, でも、ちょっと、違うかなっと思ったことなのですが、母親に反感を感じているのは長女の幸だけで、次女の佳乃、三女の千佳は、それほどの反感を持っているわけではないのではないでしょうか。佳乃は、祖母の七回忌の法事の前にも、幸に修羅場はごめんだと釘を刺していますし、千佳はむしろ、母親に対して「幻想」さえ抱いている、と表現されています。うちに泊まればいいのに、とさえ言っている。, 確かに、娘の結婚/妊娠のお祝いに、真夏に荒巻鮭を贈ってくる母親という設定は、ある意味、荒唐無稽とも言えるかもしれない。私は、夏にも新巻鮭を手に入れることができるものなのか、っと、その点を不審に思ってしまいましたし、一匹の荒巻鮭を捌くことで、何切れの鮭の切り身ができるものなのか、大家族の友人宅何箇所にもお裾分けできるほどの量なのか、などとも考えたのも事実です。, しかし、ここでも、よっちゃんは笑っているかもしれないけど、母親に対してそれほどの悪意を感じてもいるように見えないし、幸にしたって、自分の尺度とは違うと言って腹を立ててはいても、こういう母親の幼さ(?)を「恥」と言って強く否定しているわけではないように、私には思えました。, だって、そんなに否定するなら、捨てることも、送り返すこともできる。そうではなく、お裾分けをする、それは受け入れることに他ならないと、私には思えました。, このお話は、一番最初、佳乃が自分の家庭を語った時、父親は15年前に、そして母親はその2年後に子供達を後に残して自分の新しい家族を形成するべく去っていき、そののち一度も両親とは会っていない、というようなお話だったように思います。, しかし、母親に関しては、13年間音信不通で一度も顔を合わせていないわけではなく、祖母のお葬式では、幸と母親・都は修羅場を繰り広げた、とされています。音信不通でも一度も会っていないのでもないのです。, 祖母の一周忌や三回忌のお知らせだって出している。なんだ、どこにいるかもわかっている相手なのか、それにしても、互いのつながりを非常に希薄にしている理由はなんなのだろう?と、疑問を感じるのは確かです。, ある意味、祖母が、この3姉妹を囲い込んで母親・都と距離を保たせたのは、都の新しい家族の幸せを思ってのことかもしれない、などと、私は勝手に考えていました。, 最初の設定では、とりあえず両親に捨て去られた子供たちが成長して、半分だけ血の繋がった妹と暮らすことを選択し、そこから家族を形成していくという設定を考えたのが、話を展開していくうちに様々変わっていったのかな、と私は思っています。, そんなふうなドラマチックな設定から、不幸そうな生い立ちの中でも「不幸に見えない」姉妹と設定を変化した理由も、わかりません。, ただ、当初の予定とは、様々変化したお話の展開があったことは確かだなぁ、と思っています。, 確かに、佳乃と千佳は母親に対しては幸ほど反発はしていませんね。佳乃はむしろ母親には割り切って醒めた目で見ているというか「どうでもいい」といった態度ですね(実はいちばん残酷ですよね…)。片や千佳の方は物語の当初からそんな姉たちに同調していて、良くも悪くもそれほど拘りは無いように見えましたが、妊娠発覚後の例の下りで実はいちばん母親に「幻想」を持って慕っていた…ということが幸から唐突に語られたところにも違和感がありました。, むしろ、母親に対しては最初からきっぱり法事にも呼ばず敷居もまたがせない、贈り物も受け取らず突き返す、というように徹底して拒絶していたほうがよほど納得はできるんですよね。千佳の結婚に際しての顔出しにも期待されていないくらいで、しかし贈り物には不平を言うとか、私としては正直理屈があっていないというか、はっきり言って理不尽もいいところだろうと(それが母娘の割り切れない葛藤というものなのでしょうが)。しかし当の娘たちの方から母親に心身ともに距離を置いて「それなり」の扱いや態度しか取っていないのだから、(母親の真意はどうあれ)母親の方の対応が「それなり」になっても文句を言う筋合いはないでしょう。少なくとも私は姉妹たちにはどうにも(作者が意図するような)共感や理解ができませんでした。, 仰るとおり、この物語の当初のテーマの一つは、親を喪った姉妹たちが新たな家族を形成していくことで親たちへの葛藤も昇華していく、というものだったのでしょうが、その辺りは2巻あたりまでで描ききってしまっているはずなんですよね。それが、連載が当初の想定を超えて人気が出て長期化したため、テーマやストーリーにも次第にブレが出てきてしまったのではないでしょうか。, なかなか難しげな解釈をされていますが、この物語にはともに支え合う人間の姿が描かれています。あくまでも漫画ですから多少は突っ込みどころもあるとは思いますが、この姉妹の関係を軸にあまり劇的な展開も無く、登場人物それぞれの背負った「想い」がそんなに絡み合う程度でもなく描かれていて、ある意味その辺の井戸端会議を見聞きしいている様な感じで過ぎて行きます。 いっけん、それぞれ欠点や弱さを持つ人間として親や家族を許そう、受け入れようというようなメッセージやストーリーを語っていても、それを描いているはずの他ならぬ作者本人が自分の母親をいまだ一番許せていない、「母の犠牲になった子供」である自分を昇華できていないのだなあ、と私も思いました。 » あらすじ/ネタバレ 静岡の高校の新設女子サッカー部に入学するため、鎌倉の幸田家を旅立つ日が近づいている四女すず。 »ã®ç™ºå£²ã‹ã‚‰1å¹´3ヶ月、お待ちしておりました~!進学先の決まったすずがある日、ゴミ箱の中に見 »é ­ã‚«ãƒ©ãƒ¼ã§æœ€çµ‚回ですが、雑誌の表紙は岩本先生の「マロニエ」。 だから『愛情』と裏腹の『怒り』の感情も持続しない。 こういう作品を長年に渡って連載した出版社の懐の深さに乾杯してもいいでしょう。, >超人の登場も時空を超えた展開もありません。ここではただ日々生きて行くために、家族を必要とし必要とされた、何処にでもいそうな完璧ではない人間たちが少しずつ何かに気付いて成長して行くという非常に「ツマラナイ」世界が描かれているのです。, これについてはまったく仰るとおりです。私としてもやはり基本はそのような印象のもとにこの物語に親しんでいたし、また楽しみたかったのですが、だからこそ、この記事などに述べたような(作者の価値観やスタンスに対する)違和感がどうしても気になってしまうのです。, 現実世界のごく「普通」の「ありきたりな」人々どうしが作り上げ住む世界の中で繰り広げられる、姉妹たちとそのゆかりの人々たちの成長や愛情が多くの読者を魅了したのは間違いありませんが、私などはまさにそうした一見「ありきたり」な人々が信じてやまない「ツマラナイ日常」や世界や愛情から(作者により)スポイルされた存在、またはそのような(作者からの)扱いの方がどうしてもトラウマ的に気になってしまいます。たとえば最近の話題作である『ど根性ガエルの娘』などはそうした「ツマラナイ日常」に拘泥する「ありきたりな」人々の歪みと、その「ツマラナイ」日常を守るためのスケープゴートにされた側の異議申し立てを描いています。, それこそ、『BANANA FISH』などのハードボイルドやSFテイストの吉田秋生の過去作品ではまさに「ありきたり」になれない、ツマラナイけど平和な日常や愛情から疎外されたり排除された人々の心情や苦悩にもスポットをきっちり当てて描いていたはずなのですが。, 私もこの海街diaryの世界での『母親』の描かれ方には(あらま…可哀想に)と思いながら1巻から読んできました。 コミック, 吉田秋生先生の「海街disry 8巻 恋と巡礼」が2017年4月10日に発売されました。, 夏休み直前、すずたち湘南オクトパスが、サッカーの試合で初戦の勝利を祝って「海猫亭」で祝勝会をしているところに、チカちゃんがやって来ました。, チカちゃんはトレードマークのアフロヘアをショートにしてきて、みんなビックリしています。, (本人的にはオードリー・ヘップバーンを意識してみたそうですが、ちょっとおばさんぽいカンジも無きにしも非ずです), すずはこの前、家のゴミ箱で見つけた妊娠検査薬や、アフロ店長がエベレスト登山隊に加わってネパールに行ってしまう事などを思うと、チカちゃんのことが心配でした。, でも家に帰ってから、よっちゃんや幸ねえに昭和のおばさんといじられてるチカちゃんを見て少し安心しました。, それから数日後、すずは練習の帰りに通りかかった地蔵堂で寝ているチカちゃんを見つけました。, 赤ちゃんはまだ10週目くらいで、お姉ちゃんたちにはまだ言わないでほしいと頼まれたのでした。, チカちゃんがこれから店長さんに「安全祈願」のお守りを渡しに行くと言うので、すずは心配なのでついて行きました。, ふたりの様子を見ていると、どうやらチカちゃんは妊娠したことを店長さんには言ってないみたいですね。, チカちゃんがアフロ店長のために安全祈願でパワスポめぐりをしたいと言い出したので、すずはそれにつき合うことにしました。, 風太の兄のテルヨシは、風太がチームの連絡やもろもろを、裕也に頼んでみんなにメールしてもらっているのを知っていたので, 風太に作ってもらったルートに従ってパワスポめぐりをしていたすずとチカちゃんは、道に迷ってしまったので風太宛てにテルさんのスマホに連絡を入れました。, どうやら熱中症みたいなのですぐに病院に行った方がいいと言う風太たちに、少し休めば治ると言うチカちゃんが心配でたまらなくて、すずは思わず言ってしまいました。, そんなところへちょうど営業の途中で通りかかったよっちゃんと坂下課長も、風太に聞いてビックリです!, アフロ店長に話してないこと、そしてすずに内緒にしてって頼んだことで、どれだけ二人を傷つけているかということで幸ねえはチカちゃんを叱りました。, チカちゃんが店長のためと思って黙っていることは、間違っていると言われてしまったのです。, 二人きりになった病室で、アフロ店長は二度と行かないと決めていたエベレストになぜ行くことにしたのかを話てくれました。, 病院からの帰り道、よっちゃんはすずに、秋になってチカちゃんが安定期に入ったら一度みんなでお父さんのお墓詣りに行こうと言いました。, チカちゃんとアフロ店長はエベレストに行く前に入籍し、幸田千佳から浜田千佳になりました。, その頃、すずと幸ねえはすずの入学する高校の説明会に行くために、静岡行きの新幹線に乗っていました。, 学校までの道のりで、幸ねえといろんなことを話しながら歩いているうちにすずは少しづつ元気を取り戻していきました。, 大船のおばさんは表札にかかっているかまぼこ板に「浜田」と書かれているのを見て驚いていました。, おばさんはつわりがひどいチカちゃんのために『とまとちゃんつぶし』を作りに来てくれたのです。, おばさんが帰ろうとしていた時に、北海道にいるチカちゃんたちのお母さんから小包が届きました。, 作中で「絆とご縁」という言葉が出て来ますが、この物語を読んでいると本当にそうだなあと思わされます。, 「海街disry 9巻 」の発売日予想は今までのペースから考えますと、2018年7月くらいではないかと予想してみました。, ※「海街disry」 9巻完結編 の発売日は2018年12月10日頃の予定です!(追記9月28日). 街diary(ダイアリー)」は吉田秋生先生の作品で、2015年には実写映画化もさ いろいろな意見、興味深いです。 街diaryの映画化が決定したようですね。 小学館の月刊フラワーズで不定期に連載されている 吉田秋生さんの作品です。どんな漫画か知りたいという方のために あらすじ、ネタバレ、みんなの感想をまとめたいと思います。 また、原作を読んだ人が思う映画のキャストも予想してみます。 街diary』は吉田秋生の漫画を、『万引き家族』でカンヌ・パルムドール受賞の是枝裕和監督が映画化した四姉妹の物語です。 ================, 上記、(そうだよなぁ…)と思いました。 正直私も彼女たちの母に対しての対応が酷すぎると感じるためなんだかなーって思いです。, たいへん丁寧なご感想をいただきながら、承認が遅くなってしまい申しわけありませんでした。, 結局、作者自身のルサンチマンがキャラクターや物語のバランスを壊しかねないレベルで露わになってしまってるところに違和感を感じるのかもしれません。 街diary』公式サイトumimachi.gaga.ne.jp 良かった。 気付いたことがありまして、視野が拡がりましたので、つい筆を執っています。(パソコンですがw), ============== 「ありきたり」の想像世界を描いた分類不可能なSFものやどぎつい殺人をすることに何のためらいもない不感症的な作品が跳梁跋扈する現代において、これだけ「ツマラナイ日常」というものを瑞々しく、また輝かしく描いた作品はないでしょう。 これはずっと感じていたことです。, もちろん、三姉妹の母親視点を吉田秋生先生が描いてくれたら全然見当違いなのかも……とも思うのですが、12月に最終巻が出るこの『海街diary』、アマノイワトさんの視野(というか感覚)が少しでも広くなり、(ああ、そういう視点もあるんだ)という意識のもと、少しでも『違和感』を軽減した精神で楽しんでくれたらなぁ…と思っています。(小学館の回し者じゃありません!笑), けっこう前の記事に長文乱文、失礼いたしました。 街diary のストーリーの結末・感想や感想を含んでいるので、観ていない方はご注意ください。この映画のカテゴリーは ヒューマンドラマ です。 は最終回!と銘打たれた78回目・・・スゴイ展開です! 「母親」として元からまともな期待も尊敬もされていない、そもそも存在意義を認められていない、少なくとも(作中では)そのような意志やリアクションは殆ど表現されても与えられていないのに、「母親」としての義務や振る舞い、そして愛情だけは要求されるという、はっきり言って理不尽ぶり、正直この私にはそのように感じられてしまったのだ。 2017/4/16 »ã®ç™ºå£²ã‚’記念して、小玉ユキ先生のサイン会の開催が決定しました! 正直あとの恋愛とかその辺はとってつけたイベントにしか見えず、 ==============, 上記の文章、きっと違うのではないかな…と思うのです。 街diary Sea Town Diary Umi Machi Diary Umi Machi Diary 1 Semishigure no DOWNLOAD/ダウンロード : Rapidgator : Umimachi Diary v01-05.rar Umimachi Diary v06.rar Umimachi Diary v07.rar Umimachi Diary v07b.rar … ご返信のお気遣いは不要でございます。, 母親の立場で、子供が母親に対して求めるものが過剰だとおっしゃってるんですかね?自分も自分の母親に対してはそうだったんじゃないですか?この関係は一方的な連鎖のまま、未来に向かって伸びていく関係だと思うし、それが自然だとも思う。片務的な関係を親と子の双方に結び結ばれるのが論理的に非合理とおっしゃっているのであれば、論理的にはその通りかもしれないけれども、そうした要求が当たり前と感じる感覚こそが子孫がきちんと続いていくための、生態系としての論理的な正しさじゃないかと思います。個人のレベルで非合理だから、という理由が成立してしまうと、子供を持つ意思はどんどん希薄になっていく。先進国では子供の出生率は著しく下がるけども、それは個人の自己実現が子供を持つことで妨げられるのが情報としても論理としても明示的だから。個人の意思が生態系の意思と相反することが明確だからこそ、子供が可愛く見えるように生まれてきたり、母性愛が存在したりする。それを葛藤として描くのは、どちらが正しいというよりも、そういう構造として、論理を感情が抑制する装置のような役割として作られているからだと思います。違和感を感じるのは、どちらか一方が正しいと思い過ぎているからじゃないのでしょうか。どちらも正しく、どちらも割り切れない、そういうものとして私は見ていますし、それを違和感というよりも自分の中にある相克として感じています。吉田秋生の作品は正しさで見るというよりは、論理と感情の交差の中に割り切れないものを様々な次元で織り合わせ、織り合わせきれない自分の感覚と重ね合わせつつ、半ば諦念をもって見るものだと思ってます。乱文失礼しました。, ありがとうございます。たしかに親子の関係やそれにまつわる愛情、執着というのはいつも論理的に解決できるものではないし常にその葛藤を抱えたまま折り合っていかなければならないというのが『海街』のテーマでもあるのでしょうが、この物語の中ではその「親」への感情や執着があまりにも「母親」に偏りすぎているように見えます。責務にせよ愛情にせよ、双方の合意と営みによって生まれた我が子に対してそれを担ったり期待を受け入れ求められるべきは決して女親のみではなく男親もまったく同等公平に負うべきものですが、いかんせん『海街』では姉妹たちの父親を筆頭に「男(親)」の責任があまりに免罪または軽視されているようでやはり釈然としません。, こんにちは。 だからこそ、長女なんかは、『自分の理想通りでいてくれない、期待に答えてくれない母親が許せない』のではないかな…という考え方もありではないか――と。, 『父親』にはもともと期待はしていない。 3人姉妹がすずの救世主となり、すずの生活だけでなく心まで救い上げるやり取りの中で、継母に対しての割り切れなさを表現していましたが 作者の根本的なテーマに母子関係があるのではないかと思っています。 //